坪内 崇

目の前のことに徒手空拳で挑む。
それが物事に柔軟に
対応するコツです

坪内 つぼうち たかし

第三コミック局
『ビッグコミック
スピリッツ』編集長
1994年入社

坪内の人柄
得意技は
空元気。
陰気は損気。

プロフィール

生粋の本好きで中学・高校の6年間は図書委員を務める。愛読まんが雑誌は『コロコロコミック』にはじまり成長とともに『少年ジャンプ』、『少年サンデー』、『ビッグコミックスピリッツ』へと移り変わる。自身の就職活動期はいわゆる“氷河期”に当たり、手当たり次第受けることに。小学館の選考ではまんが編集者の面接官と話が盛り上がったからか入社が決まり、就活は“運”も重要だと実感。入社後、最初の配属は当時の第二編集部『ビッグコミックスピリッツ』。1997年『少年サンデー』に、2004年『ヤングサンデー』に異動し、翌年デスクとなる。2007年『少年サンデー』に戻り、2010年副編集長就任。2015年『ビッグコミックスピリッツ』に戻り、2016年より現職。忙しくてキツいと感じることがあっても、まんが編集者を辞めたいと思ったことは一度もない。

私の好きなモノ・コト

『ファンタジスタ』『BE BLUES!〜青になれ〜』などのサッカーまんがに携わっていたおかげで、2010年のワールドカップでは日本代表全員の取材が実現。ユニフォームとサイコロは香川真司選手の取材でドイツに行ったときのものです。

“好き”と“頑張る”は車輪と同じ。
両輪そろって、
初めてうまく進むのです

かつて、一編集者だった頃は、“作家が描きたいもの”と“自分がおもしろいと思うもの”がシンクロする点を探すことが何より大事でした。これがバチッと合ったまんがはヒットする確率も高い。しかし、編集長の仕事は少し違います。僕が考える『ビッグコミックスピリッツ』の読者イメージは、20代前半の大学生〜就職で東京にやってきて1人暮らしをしている男子。月曜夜にコンビニで弁当と雑誌を買い、部屋で1人食べながらまんがを読んでいる。「彼女、欲しいな」とか思いながら…。そんな読者が喜んでくれるまんがかどうか…そんな想像を膨らませて、すべての企画の「やる・やらない」「続ける・やめる」を決めるのが僕の仕事です。同時に、部下である編集者が何を考え、感じて、頑張っているかを見守るのも仕事。この“頑張る”の原動力は“好き”だと思いますが、独りよがりではダメ。調べたり、考えたりして周りが納得する企画に落とし込み、なおかつコスト面で割に合うように仕上げる。そこまでやって“頑張る”は成立します。そんな風に“頑張って”、情熱を持ってつくり上げられたまんがを、僕も愛情を持ってジャッジしているのです。

幸不幸は表裏一体、
「人間万事塞翁が馬」。
何事にも動じず、将来も楽観せず、
日々挑戦

小学館で初めて手がけた本は、入社1年目のときに先輩から引き継いだ作品の単行本。発売日から書店に張りつき、「手にとってくれてる!」「また減ってる! うれしい!」と小躍り(笑)。本をつくる醍醐味を味わいました。ただ、入社4年目には担当作品がなくなり“社内ニート”になってしまったんです。針のむしろに寝転んでいるような日々が続き、やっと8か月後に連載を立ち上げたときは“仕事がある幸せ”を心底痛感しました。その経験から「ぐずぐずしないで早くやる」がモットーです。こんな風に幸不幸を繰り返している中で、「人生は“人間万事塞翁が馬”だな」と思うようになりました。出版業界は“不況”といわれて久しく、“出せば売れる”時代は遠い昔のこと。今は血のにじむような努力で知恵を絞り、祈るような気持ちで本を出してヒットを勝ち取るわけです。しかし考えようによっては、以前よりもずっとやりがいがあるといえます。また、デジタルでは過去作品の売上が新刊よりも高く、それは過去作品や名作をたくさん持っている小学館には有利な状況なのです。これからも“不況”に踊らされず、将来を悲観も楽観もせず、小学館の一員として自分の責務を果たしていきます。

デスクからみる坪内の人柄

坪内ってじつはこんな人

ウラオモテのない先輩なので「じつは」ってあるだろうか(笑)。私は「編集者はミーハーであれ」と思っているのですが、坪内さんこそがミーハーの権化、流行りモノは何でも自分で試してみるタイプ。メジャーなものも大好きで『君の名は。』を観て泣いたそうです。精神年齢が高校生くらい?…子どもだなぁと思うことが多々ありますね。ちなみに、これらすべて褒め言葉です! 編集部の全員でわいわいと企画の相談ができるのは、この編集長ゆえだなぁと思っております。

『ビッグコミック
スピリッツ』
山内 菜緒子

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