千代田 修平Shuhei Chiyoda
- 異動履歴
- 2017年入社/以来現職
中学のテストで1位をとり「もしかして天下獲れる?」と思い始め、東大に入った頃にその思いはピークに達した。大学では演劇に明け暮れる。そこで幾つかの本物の才能に触れ、自分は凡才であると悟る。しかし天才と仕事をするのは楽しかったので、天才と仕事ができるまんが編集者になる。趣味は深夜徘徊。感傷中毒。老人少年。
人生のすべてが作品の糧として供養できます。
「この前、同棲していた彼女と別れたんですよ。深夜1時くらいに別れ話がはじまって……終わったときには深夜3時くらいでした。で、後はもう寝るだけだったんですけど、このままじゃ眠れないなと思って。それで、僕よく深夜徘徊してるんですけど、この時もそうしようと。歩こうと。外、雨降ってたんですけど、傘差すのも違うなと思ったんで、そのまま出て。そしてひたすら真っ直ぐ歩こうと思って、BUMPとかRADとか聴きながら歩いて、たまに歌って……そんで気づいたら多摩川越えて神奈川県まで歩いてました。5時間で20kmくらい歩きました。すると、疲れるんですよね、当たり前だけど。めちゃくちゃ足痛いし。ありえん寒いし。クソ眠いし。そしたらそっちのしんどさが、別れのしんどさを、どこかで必ず上回る時がくるんですよ。するとこう、蚊に刺されたところをつねることで痒みが軽減されるみたいな感じで、知ってるしんどさで上書きできるんで、電車で帰ってスヤスヤ寝ることができました。……こういう僕みたいなやつブチのめしたくないですか? 敵キャラで出して倒しましょう。」という話をこの前打ち合わせでしました。人生のどんな体験も仕事に活かせるのでオススメです。
私の1日
- 11:00
- 起床
- 12:00
- 出社、メールチェック
- 13:00
- 作家と打ち合わせ
- 16:00
- 映像化作品の会議に出席
- 18:00
- 作家と話題の舞台を観にいく
- 21:00
- デザイナーと打ち合わせ
- 24:00
- 作家と打ち合わせ
- 26:00
- 家で映画を観たりまんがを読んだり
- 28:00
- 就寝
せめて虎になれればカッコよかったのに。
『山月記』の李徴か?ってくらい世の中を睥睨し、独り善がりに、高慢に過ごしていました。東大にギリギリで滑り込み、クラスでもほぼ最下位みたいな成績で、勉強面での天狗の鼻は見事に折られたのですが、しかし、演劇との出会いがありました。それからは自分の成績の悪さから目を背けるかのように演劇に打ち込みました。成績が悪いことこそが、自分がすべてを演劇に懸けていることの証左であるかのように。しかしその演劇活動において、本物の天才と出会い、ついにすべての鼻が折れるのですがそれはまた別のお話。さて、当時シニカルでアウトローを気取っていた僕は当然就職活動のこともバカにしていました。なら就活しなきゃいいのに。結局なにも対策することなく大企業ばかり受ける就活をし、めでたく全落ち。留年することになりました。視野を広くもつ必要性に気づいた僕は、まったく興味がない業界のインターンに参加してみることにしました。コンサル、保険、通信……そしていろいろ考えた末に、クリエイターを支えるという軸でコンサルとITと小学館の3つを受けることにし、めでたく3つとも内定をもらえました。そして小学館を選ぶのですが、その理由は次の項に譲ります。
天才と仕事ができます。
コンサルとITと小学館の3つは、クリエイターとの距離感に応じての選択でした。コンサルはいちばん遠く、行政などと関わりながらコンテンツ業界を支えていくイメージで。ITは、当時は新しいプラットフォームが林立していたころで、それらの設計にかかわってコンテンツが盛り上がる場を作るイメージで。そして小学館(編集者)は、クリエイターのいちばん近くで、直に手助けするイメージで。この3つで悩んでいたころ、僕が当時アルバイトしていた、2人しかいないすごく小さい出版社の社長が、「お前は秀才と仕事がしたいのか? 天才と仕事がしたいのか? どっちなんだ?」と問うてきました。それは天才とだな、と思ったので、小学館へ入ることを決めました。なぜ他の出版社でなく小学館だったかというと、マンガワンというアプリが目指しているものが、僕が目指していたものととても近いと感じたからでした。結局スピリッツに配属になりましたが(笑)。現在の夢は、天才と信頼しあい、共に作った作品を世の人々に「天才だ!!」と認めさせ、そして喜びを分かち合いたいです。この夢は入社当初から変わりませんし、これからもしばらくは変わらないと思います。