塩谷 薫

新しいカタチのファッション誌を
つくる集団“チームCanCam”の監督として
日々、人材育成中

塩谷 しおのや かおる

女性メディア局
『CanCam』編集長
1996年入社

塩谷の人柄
気は優しくて
力持ち

プロフィール

幼稚園年長の頃に一目ぼれした元読売巨人軍監督・原 辰徳さんに会うため、早くも小学生のときに出版社で働くことを決意。大学時代に小学館でアルバイトをしたことがきっかけで小学館への興味がふくらみ採用試験を受ける。入社後は当時のファッション編集部『プチセブン』に配属され、以降、女性誌一筋。2001年『CanCam』、2007年『Domani』へと異動。2009年『AneCan』異動時に副編集長就任、2010年『CanCam』へ戻り、2015年より現職となる。毎月企画会議からはじまり、台割(雑誌の設計図)から編集担当の割り振り・コンテチェック・コーディネートチェック・写真チェックなど多くの業務に携わる。また、社内はもちろん各事務所・クライアントとの調整など、編集長ならではの交渉ごとも多い。多忙を極めるが本人は「会社に行きたくないと思ったことはない」というノンストレスなワーキングライフをおくっている。

私の好きなモノ・コト

「“神”と崇める方には会わないほうがいい」と決め込んでいましたが、数年前についにご本人と対面! 一般の人はなかなか入れないとうわさの監督室で、原さんの人形とサイン入りゴルフボールをいただきました。

ファッション誌従事者
=全員超ハイセンス!?
いえいえ、
私の強みはそこではありません

小学生の頃、周りがアイドルに熱を上げている中で私が喜々として買っていたのは『月刊ジャイアンツ』。そのときからずっと「アイドル雑誌のようにスポーツ選手をじっくり見られる雑誌をつくりたい」と思っていました。それが入社以来ずっとファッション誌。考えてもみないことでした。「そろそろ社会人だし、着る服を考えないとヤバい」「でも、何を選んだらいいかわからない」「だからファッション雑誌を買ってみた」……まさにそんな感じでした。そんな私が小学館でファッション誌をつくってこられた大きな理由のひとつは、内容が実用性も重視していたからだと思います。「全国のたくさんの人たちが楽しめるファッション」を目的につくっているので、おしゃれに傾倒していなくてもわかりやすかったのです。「ファッションが大好き」というと、洋服やコーディネートの優先事項がどうしても“おしゃれかどうか”に偏りがちですが、私は“実用性”も大きなポイントだと捉えることができ、ある意味ラッキーでした。「そのヒールで勤務中に歩き回れる?」「会社でその丈はないんじゃない?」など、見た目に加えて洋服を着て働く女性のフィット感・心地よさにも気を配りながら、ファッションを伝え続けてきました。

部下の成長過程を見られることが
うれしくて、楽しくて、
編集長をやっています

編集長の大きな役割のひとつに“部下を育てること”があります。これは自分が新入社員だったときの先輩方(生意気な私を温かく育ててくれました)の影響が大きく、“何事も結局は人次第”という持論に至りました。どんなにカリスマ的な資質のある編集長がいたとしても、実際に手を動かしてくれる人たち=部下が、その雑誌のこと、目指す方向性をきちんとわかっていないと、いいものはつくれません。そのためには、仕事内容はもちろん“部下とどう信頼関係を築いていくか”がより大切です。先輩から教わったことは残らず、そして私の考えもプラスして後輩には伝えたいし、後輩がさらにまた次の世代に伝えていって欲しい。私は原 辰徳さんが監督になって、選手時代よりさらにファンになりました。その理由は、明るく、強く、チームを引っ張りながらしかも結果を残しているという、マネジメント能力にあったのかもしれません。自分がもし監督だとするなら、部下はコーチや選手。みんながお互いの能力を高め合い、チーム一丸となっていい雑誌をつくる編集部が理想ですね。本をつくって売ることは大切。でも、未来の小学館を支えていく人材を育成することも、同じくらい大切だと思っています。

デスクからみる塩谷の人柄

塩谷ってじつはこんな人

約20年、後輩として数限りなく酒席を共にしていますが、塩谷さんの泥酔する姿を一度も見たことがありません。もちろん酒量は成人女性のそれを軽くクリア。なのに、絡んだり、泣いたり、グチったり、居眠りしたり、千鳥足したり……。精神もカラダもまったく乱れない、神がかったタフさ。もちろんそれは、仕事のときでもまったく同様で、きっとリーダーになる人は宿命的なタフネスを備えているのでしょう。

『CanCam』
岩﨑 僚一

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