『小学一年生』担当者座談会

『小学一年生』担当者座談会

『小学一年生』は2025年でピッカピカの100年生!
次の100年へ新たな一歩を踏み出した「100周年」の舞台裏を語り合う。

※本記事の内容(巻数、部数など)は取材当時のものです。

Vol.9

\ 対談メンバー
チーム『小学一年生』の皆さん

A.S

A.S
第一児童学習局
学習雑誌編集室
室長(編集長)
1995年入社

M.R

M.R
マーケティング局
雑誌事業室
課長
2002年入社

D.D

D.D
マーケティング局
雑誌事業室
課長
2002年入社

ポケモン生態図鑑

小学一年生

1925年に創刊され今年で100周年を迎える、小学1年生を対象とした総合雑誌。“子どもたちの好奇心を刺激したい”という編集姿勢を今も昔も変わらず貫きながら、創刊当初から目玉のふろくも、旬の話題や季節感あるテーマを盛り込んだ誌面も、世の中の変化を敏感にキャッチして日々進化を続けています。

『小学一年生』100周年プロジェクトとのかかわりを教えてください。

A.S

2024年1月から『小学一年生』の編集長をしています。100周年へ向けては前任の編集長から動き出していて、その想いを引き継ぎ、ここまで進めてきました。

M.R

2024年の10月から販売を担当しています。100周年については私も、仕込みを前任が整えた段階から、チームの一員に加わりました。

D.D

宣伝担当です。98周年から携わり、どんなことをしたいか、夢を語る段階から施策を練ってきました。

100周年を迎えた『小学一年生』へ込めた想いを教えてください。

A.S

『小学一年生』は子どもたちの雑誌ではありますが、私たちはみんな、1年生だった時期がありました。こうして100周年を迎えるにあたり、 子どもたちのものだけではなく、1年生だったみんなへ向けたお祭りにしたいと考えたんです。小学校へ入って初めの一歩を踏み出すときに寄り添う雑誌なので、 第一歩=新しい挑戦として捉え、前へ踏み出すきっかけを生み出す雑誌になれたら良いなと思っています。“やってみたいな” “面白そうだな”とポジティブな機運にあふれた社会だったら、楽しいですよね。そうやってみんなが楽しめる毎日を思い描きながら、好奇心やチャレンジ精神をくすぐるような宣伝、キャンペーンを心がけてきました。

S.M

100周年プロジェクトでは、多くの特別な施策が形になっています。1月には100周年記念サイトがオープンし、2月からは都営三田線・神保町駅構内にオリジナルの電車到着メロディが登場。電車が近づいてくると♪ピッカピカの一年生~♬のメロディが流れて、なんだか心が弾みます。

D.D

これはぜひとも100周年に実現したかった宣伝施策なんです。記念すべき節目に、小学館がある神保町駅で『小学一年生』のメロディが流れたら良いなと考えて、98周年の時点から動き出していました。ありがたいことに『小学一年生』にはたくさんの資産があるので、そうした、先輩たちが積み重ねてきたものの集大成となる100周年にしたかった。大きな資産であるあのフレーズをどうしたら生かせるか考えて、駅メロディの施策につながりました。最初は“こんなこと、できたら良いな”の夢からスタートでした。都営三田線としても初めての試みということで、実現まで約2年かけて、じっくりと丁寧に、話を進めていきました。
メロディには音階やテンポが異なる10パターン近い候補があって、社内でも熱い議論が交わされましたが、「駅を利用する人たちが元気になったり、笑顔になったりしてくれるメロディにしたい」と意見がまとまり、テレビCMよりもちょっとゆったりしたテンポのバージョンに決まりました。

M.R

通勤で三田線を使っているので、いつもの駅であのフレーズが聴けるのは嬉しい。普段は帰りの電車が来るときに聴くのですが、たまに、会社へ行くときにもタイミングよく反対側の電車が来て、聴けるときがあるんです。そんなときは“ラッキー”って、ちょっとした幸せを味わっています(笑)。

A.S

メロディが流れるのをホームでずっと待ってくれている人もいましたよ。メロディを聴いた若いOLさんが小躍りしているのを見かけたときには、“ヨシッ!”と心の中でガッツポーズをしました(笑)。リズムとして子どもの頃に刻んでいたものが体の中からふわーっと出てきて、つい踊ってしまったんじゃないかなって。仕事が忙しくて、大変なときでも、ふとした瞬間に心躍るスイッチが入る。そんな姿を感じられて、喜びをかみしめました。
100周年のプロジェクトは私たちにとっても、新しい挑戦でした。何かを形にしようとするときにいろいろな規制がかかるご時世にあって、私たち自身も安全策として、端から“きっと無理だろう”と自主規制することが増えていると思うんです。でも、こうした節目だからこそ、普段なら提案しなかったであろう夢も、思い切って口にすることができた。そして、その夢をさまざまな人が後押ししてくれて、力を貸してくださった。みんなの応援があって、私たちもプロジェクトも前へ一歩、踏み出せたんです。そうした熱い想いもたくさん受け取りました。

M.R

そうですね。『小学一年生』を愛してくださった人たちがいたから、100周年だから、私たちの夢も形にできたのかなと感じています。4年前に担当になったときからすでに100周年を見据えて動いていたので、“こんなタイミングに携われることは滅多にないのですごく光栄だ”と感じると同時に、“なんとしても成功させたい”と気が引き締まりました。

A.S

三桁の年数まで雑誌が続いている。そうそうないことなので、この歴史は重いですよね。100周年は会社としても1年間かけて、しっかり盛り上げてほしいというのが伝わってきた。しっかりやらないと、というプレッシャーはやっぱりありましたね。

D.D

小学館のなりたちからしても、『小学一年生』は特別な雑誌だと感じていたので、1年かけて盛り上げるにしても、今の時代はこれが人気だからとパッと流行りに飛びつくような宣伝ではいけないと思いました。自分がかかわっているのは、100年分の4年程度。これまで先輩方が積み重ねてきた想いがひしひしと伝わってきたからこそ、“小一”の文化や世界をこわすことがないよう、100年間のバックナンバーを読み返しました。
とはいえ、せっかく立ち会えた100周年です。宣伝に携わって15年目ということもあり、こうした記念のタイミングだからできることはすべてやろう、と。駅メロディ、創刊100周年記念ソング( シンガーソングライターの山本彩さんが歌唱する『ボクたちのスタート』)や創刊100周年記念ムービーなど、思い描いたことが次々と実現できたのは幸せでした。

M.R

記念ムービーのお祝いコメントには、錦鯉さん、あばれる君、さかなクン、水田わさびさん、松丸亮吾さん、永尾柚乃さん、MLBシカゴ・カブスの今永昇太選手と、お忙しいみなさんが“『小学一年生』を読む子どもたちのためだったら”と快く協力してくださいました。

D.D

開幕投手を務めた今永選手は、MLB開幕前のとても多忙な時期にお時間を合わせてくださった。動画の撮影現場には読者の子どもたちもいましたが、それこそ夢が叶って、いちばんはしゃいでいたのが私たち大人なんです(笑)。ムービーでは“♪ピッカピカのメジャー2年生!です!”とご自身のキャリアにかけて、おなじみのフレーズをアレンジして歌ってくださったりもして、思いがけず今永選手の陽気なキャラクターに触れられたことも、大切な思い出です。

U.Y

取材ではなく、子どもたちへ向けた『小学一年生』だから引き出された、自然体のノリだったのでしょうね。

M.R

販売の側面でも、特殊な雑誌だと思います。雑誌の取次会社さんに新年度の雑誌を紹介する説明会あるんですが、毎年、“今年も『小学一年生』のシーズンがやってきましたか”と話題になるんです。『小学一年生』が売れるということは新1年生の読者が増えるということで、図鑑など子ども向けの関連書籍や、一緒に書店へいらっしゃる親御さんなど大人向けの雑誌なども、手に取っていただく機会が生まれる。小学館だけではなく出版社全体に関係してくるので、社の垣根を越えて、見守ってくださっている。社内では今春、それこそ大人向けの『女性セブン』や『週刊ポスト』でも100周年の特集記事が組まれるなど、『小学一年生』への想いが感じられましたね。

D.D

そう思います。100周年会議と称して、社内のいろいろな部署と会議を重ねてきましたが、やっぱり、たくさんの想いが伝わってきました。

今日はみなさん、おそろいの黄色いTシャツを着ていますね。胸には小学館の“勉強マーク”がついています。

D.D

3月に開催した「こどもフェスティバル2025」のタイミングでつくったTシャツです。『小学一年生』編集部によるスペシャルステージもあって、これを着ていると、来てくれた子どもたちや親御さんたちもひと目で私たちが関係者だとわかる。フェスの運営上も広い会場でスタッフの位置を把握しやすく、役立つと考えたんです。

A.S

イベントでは、こうしたラフなTシャツを着ていたほうが子どもたちも近づきやすいようで、距離が縮まるんです。小学館の学習雑誌カラーが黄色と赤なので、その配色を意識しました。そして、『小学一年生』でまず浮かぶのは、CMで流れる“ピッカピカの一年生”のフレーズですよね。そこで、ピッカピカ=太陽をイメージして、伝統のマークを太陽風にデコレーションしました。せっかくなら100周年らしい装いにしたいねと、編集部でわいわい話し合いながら、デザインを考えました。背中には本や鉛筆、実験道具やサッカーボールなど、学びのモチーフを散らしています。

M.R

Dさんと私は、今はマーケティング局で宣伝と販売を担当していますが、ふたりとも『小学二年生』『小学四年生』など学年誌の編集部で仕事をしていた経験もあるんです。記念Tシャツの勉強マークをみて当時の記憶がよみがえるような、わくわく感となつかしさがありましたね。

T.R

2025年4月号は「入学おめでとう!100周年記念号」としていましたね。

M.R

販売として、100年目の4月号の発売は部数も多く、最初の大きな課題でした。販売の仕事で最も大切なことは発売日にきちんと雑誌が販売されること、そして、準備した部数を全国の読者のみなさんへきちんと届けること。前任から引き継いだ責任もありますし、当たり前のことを当たり前にできるか、胃がキリキリしていました。自分の中で発売日前にいつもしているゲン担ぎがあるのですが、今回もそれをして、無事に発売日を迎えられたときにはホッとしました……。
4月号の発売にあわせて、販売では、“小学館の子どもの本”を集めた販売コーナー「SHO-KIDS」を、国内外の100店舗以上で展開しました。現物ふろくに触れられるほか、『図鑑NEO』シリーズや絵本『大ピンチずかん』シリーズ、コミックスやドリルなど、『小学一年生』を中心に子ども向けの関連書籍をまとめたコーナーです。賛同してくださった書店さん、スーパーさん、コンビニさんなどに設置していただき、海外の台北や上海でも実現しました。特設コーナーがあることで、より多くのみなさんに小学館の書籍を手に取っていただいています。

小学館の本社ビル1階のガラスケースには歴代の4月号の表紙が並んでいて、通りがけに写真を撮っている人をよく見かけます。

M.R

さっき(この記事の集合写真を撮影時)も、表紙を背景に自撮りをしている方がいらっしゃいましたね。

D.D

『小学一年生』でガラスケースを飾るとなったときに、“絶対、100年間分の表紙を並べたい!”と思ったんです。子ども時代に読んでいた方が、“あ、自分が読んでいた4月号はこうだった!”と楽しんでくれたら良いなって。今回100周年のプロジェクトに携わるにあたり、100年分に目を通したんです。そうしたら、自分が小学1年生だった年の号は表紙から、中の企画から、はっきり覚えていたんですよ。“あぁ、この表紙、切り抜いてたなぁ”なんて思い出したりもしました。読者だった方にはそんな感動も味わっていただけるかなと思っていたので、写真を撮ったり、覗き込んでいたりする姿を見ると、気持ちが通じたんだと嬉しくなります。

MさんとDさんは共にマーケティング局に所属して、同期でもあります。チームとして心強い面もありましたか。

M.R

そうですね。気心の知れた同期がいる安心感もありましたし、Aさんも含めて、この3人が同時に学年誌の編集部にいた時期があって、“初めまして”ではなかったことも大きいですね。お互いの個性や仕事のやり方がわかっていたので、コミュニケーションをとりやすく、非常に進めやすかったです。

D.D

さまざまなプロジェクトが同時進行していて、早急に解決しなければいけないことができたときにいつでも相談できる間柄がありがたかった。もともと親しかった仲ですが常に足並みを揃えて絆が深まりましたし、みんなに頼って、頼られて、充実感も得られた。仕事って楽しいなと、純粋に感じましたね。

M.R

100周年の節目に、この3人で仕事ができてよかったなと思います。
自分が昔、『小学一年生』の編集部で仕事をしていたときに、この名刺があれば、総理大臣にもスポーツ選手にも会いに行けると言われたんです。子どもたちの学びのために、普段はできない体験もできる、と。それこそ今回メジャーリーガーにも会えましたし、仕事を通じて興味が経験に変わる、そんな面白さもあらためて感じました。周年に携わるやりがいを感じながらも、次の100年を頭に思い描きながら、仕事の域を超えて、和気あいあいとやってきました。

D.D

この2人とのチームワークもありますが、関連会社のみなさんが本当に力添えをしてくださったんです。Webの特設ページや「こどもフェスティバル2025」の宣伝物の制作、春に東京・新宿と大阪・梅田で展開した3Dビジョン広告の発案、制作など。関連会社だからこそ『小学一年生』の機微や想いを共有して、“小一らしい”宣伝物ができあがったと思います。プランを含め、自分ひとりではとてもここまで、できませんでした。なにより“一緒に特別なことをしたい”という熱が伝わってきたことで、どれだけ奮い立ったことか。

A.S

100周年って、数字としては重い。でも、その重みにつぶされないように、チームとして信頼関係を築きながら、軽く仕事ができる環境をととのえたいと思ってました。社外の方からも広くご提案いただける雰囲気づくりをしながら、できるだけすべての案を形にしていけるよう、真摯に向き合ってきました。ものすごく忙しかったのは事実ですが、それを理由に労力を惜しみ、アイデアを見送ることは絶対にしないと決めていたんです。でも、それは自分だけではなかったと思います。Dさんもさっき話していましたが、100周年の施策は、アイデアが浮かんでも、たくさんの人の協力がなかったら形にならなかったものばかり。おかげで新しいこと、楽しいことがいっぱい生まれました。これもMさんの話していた、媒体の力なんだなと、歴史の重みと共に感じましたね。
私も歴代の『小学一年生』を読み返したのですが、“昔、こんな面白いことをやっていたんだ!”と新鮮な気持ちで面白がると同時に、正直、ちょっとくやしかったんです。

D.D

わかります! やりたいことを全部やろうと思ったのは、実は、昔読んでいた学年誌がきっかけでもあるんです。いちばん衝撃だったのは、『小学六年生』の編集者がゴルバチョフさん(旧ソビエト連邦の最高指導者)に会いに行ったことです。そんな企画があって、小学生の自分は“すごい本だな”って。入社してすぐ、その編集者に会いに行って“衝撃を受けました!”と伝えたことがあります(笑)。そうした過去があるので、100年目の『小学一年生』でも夢のあることをやるぞと燃えたんです。

ポケモン生態図鑑

100周年の誌面を飾った「きみのゆめコンテスト」や「わたしも1年生だった!」の企画へ寄せて、みなさんの小1の頃の夢を聞かせてください。

A.S

ころころ変わる夢のひとつに、妖怪の博士があります。妖怪が好き、水木しげる先生が好きで、憧れたんです。小学館に入社してからその水木先生とお仕事をさせていただく機会に恵まれて、一緒にいろいろな妖怪本をつくりました。その中の1冊を読んだ子どもタレントの永尾柚乃さんが妖怪好きになったそうで、初めてお会いしたときに、なんとサインを求められたんですよ。せっかくなので、ひらがなで名前を書かせてもらいました。素人のくせにちょっとサインらしく、くるんとした文字を書いてみたりして(笑)。

D.D

妖怪の師匠としてサインを(笑)。私は『ドラえもん』が大好きで、ずっと絵を描いていて、まんが家になるのが夢でした。

M.R

明確には覚えていないのですが、車が好きだったので、インダストリアルデザイナーなど車をつくる人になりたかったんだと思います。ショールームへ連れて行ってもらって車のデザイン体験に夢中になり、デザイン画を自動車会社へ送ったこともあります。新車のデザイン公募があったときに、子どもながらに官製はがきにアイデアを描いて、3~4通送りました。

D.D

小4のときですが、私は『コロコロコミック』へまんがを送ったことがあります。鉛筆やボールペンで描いた、ページ数も締切も募集要項にはまったくあてはまらないものでしたが、編集部から“きみはこのまま、まんがを描き続けてね”と電話がかかってきて、あの感動は忘れられません。そのときに送ってくれたテレフォンカードは、宝物として実家にとってありますよ。

ポケモン生態図鑑

M.B
就活生へのメッセージをお願いします!

就活生へのメッセージをお願いします!
A.S

4月に小学校へ入学したら、めざましを使って自分の力で起きて、自分の足で歩いて学校へ通う。『小学一年生』の本づくりで大切にしていることが、「自立した個性」です。
デジタル情報化社会にあって、AIは便利で効率的に世の中を動かしてくれます。でも自分の頭で考えることなく、提供された情報に無自覚・無批判に流されていくようになるのはとても怖いことです。AIが身近にある時代だからこそ、子どものときから好奇心をもち、流されない個性を育むことは、自分を守るために必要ではないでしょうか。世の中のさまざまなことに興味をもって、想像して、読んで、遊んで。自発的に体験することで得られるものは必ずあって、それは大人でも同じだと思うんです。
“就活に必要だから、何か身につけなきゃ”と考えるよりも、自分は何に関心があって、どんな人間なのか。自分への理解を深めて、好きなことを言語化できるようになることが、大切な第一歩だと思います。出版社の社員として言うならば、一緒に働いて刺激をもらいたいし、楽しいと感じたい。この仕事を面白がれる、喜怒哀楽を共にできる人と出会えることを心待ちにしています。

D.D

自分への理解を深めて言語化することは、就活で大事だと思います。私は、“この部屋に就活生が100人いたとしたら、その中で1位にならないといけない”と考えて、何であれば自分は1位になれるだろうかと、探し続けました。自分と向き合い、好きなことを突き詰めて、得意なことや強みを見つける。粘り強く自分と向き合うことで、それぞれの長所が見出せると思います。
ちなみに私は「非常識な人間です」と採用試験で自己PRしていました。今では常識となったかつての“非常識”を列挙して、「非常識な人間は未来の常識をつくることができます」と話したんです。勉強やスポーツなど学業の成果として1位になれることは思いつかなかったけれど、新しいルールをつくることが好きで、“Dが考えた方法って、やりやすくて良いね”なんて、周囲に喜んでもらえることも多かった。そこで「新しい未来、常識をつくることは、誰にも負けません」と言い続けました。

ちょっとした発想の転換で、可能性が広がりますね。
M.R

視野を広げることも大切かもしれません。自分が出版業界に興味をもったのは、出版社のカメラマンと知り合って、その人の生き方がとても興味深かったからなんです。“同じご飯を食べて、こういうところに感動するんだ”と、新鮮なことばかりでした。そこからものをつくる、特に出版物をつくる仕事に興味をもって、出版社とテレビ局と広告代理店だけを受けたんです。熱意はあったと思うのですが、全部落ちました。
大学院へ進学して2年後に再び就活する際は、メディアに限定せず、関心のある分野はすべて受けてみようと自動車、鉄道、航空にも挑んでみました。すると視野が広がったおかげか、前回が嘘のように順調に進んでいったんです。就活生のみなさんも“自分はこれだ”と決めつけないで、チョコレートが好きだから製菓会社でも良いし、本が好きだから出版社でも良いし、“好き”のアンテナに引っかかった業界の門をたたいて、縁があった会社へ飛び込んでみたら良いんじゃないかと思います。
小学館にも経験者採用がありますし、異業種へ転職することもめずらしくない時代です。入社して興味が変わってしまったら、また違った業界を受けることもできます。結婚したり、子どもが生まれたり、親の介護や引っ越しなど、自分の力が及ばない生活の変化で生じる転職もあるでしょう。緊張感はもちつつ、気軽に、気楽に。“どうしても、この就職活動を頑張らなければいけない”とガチガチにならず、もっと肩の力を抜いて臨むと、良い結果もついてくると思いますよ。